もちやについて

もともとは農家だった「もちや」

山形県川西町吉島地区にある当店「もちや」は、約300年以上続く「總右エ衛門(そうえもん)」という屋号(やごう:商店や家に代々受け継ぐ通り名、通称のこと)を持ちます。

はっきりとした年号などは、2度にわたる菩提寺の焼失により記録が無くなってしまったためわかりませんが、現在の菩提寺の和尚様から、現在知ることができる一番古い仏様は300年忌であると伺いました。

今から約300年前は、1700年代。五代将軍 徳川綱吉公の世で、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士の仇討ちは1703年のお話です。

300年前の「もちや」は、今から6代前にさかのぼり、現在と同じ吉島地区で大きな農家を営んでおりました。

しかし、二度の火災に遭い、財産の一切合財が灰となり、失くしてしまいました。

たくさんあった土地を売り、ようやく手に入れた土地は、とても低く、水たまりになってしまうような粗末な土地だったそうです。

この土地が現在、「もちや」がある場所です。

2度の火災から「もちや」に転身

二度の火災より失った財産。ようやく手に入れた粗末な土地では、農家として暮らしていけないと考えたのは4代前のご先祖様。

この土地がちょうど、白河~新潟を結ぶ街道沿いにあったということもあり、「あんびん(大福もち)」や、お墓にお供えするお団子の「墓もち」を作って販売することを生業といたしました。

これが、「もちや」の屋号の由来となっております。

「もちや」に残る、お茶処の古看板

農家から転身し、もちを作って売り出した頃に、東京日本橋にある山本商店さんから(元禄三年:1690年創業、現在は海苔で有名な、株式会社山本山さんです。)「お茶所」の看板が寄贈されたそうです。(山本山さん、お茶屋さんだったんですよ。知りませんでした。

山本山さんも、関東大震災、東京大空襲と二度の大火に遭い、全焼。

看板の件を問い合わせたところ、取引先に寄贈したという記録はないそうですが、当時、広く商いをしていたことが偲ばれ、ありがたく嬉しいとのお言葉を頂戴いたしました。  

とても立派な看板です。  

川西町では、お菓子の錦屋さん(寛政2年:1790年:創業)の店頭にも飾ってあります。  

現在の我が家はラーメン屋の二代目。

看板はラーメン屋の座敷に飾っておりますので、この歴史ある看板もぜひご覧になってみてくださいね♪  


もちは売ってませんが「もちや」です!

「もちや」がある川西町吉島地区商店街は昔ながらのラーメン店や商店が残る、なんとなく懐かしい昭和のノスタルジックな街並みです。

そんな小さな商店街で、もちは売っておりませんが「毎日食べられる味」を目指し、地元産の素材、身体に優しい素材にこだわり、元気にラーメン屋を営業しています!

ぜひ、「もちや」にいらしてください〜!